とりとめなく

何だか世の中色々すごい。以下思い出し雑感。おたくっていうか単に二次フェチなのかと最近。




酔っ払いみたいになっています。早く寝ろ。


結界師
の、アニメ。の、深夜枠に移って最初の話のときの感想どっかにあるはずなんですけど見つからないのでこんなとこで追記します暇人。


閃ちゃんが!げんげんのことを名前で呼ばないのもそりゃ寂しいのですけれども志々尾て呼ぶ分にはそれはそれで貴重でそれはよかった。それに別に閃ちゃんからげんげんへの矢印などあとから幾らでも見られる(と思うがアニメどうなんだろう)。しかしげんげんが閃ちゃんのことを名前で呼ばないとなると、秀とか大とか操ちゃんとかとにかく夜行の子供らのこともきっと名前で呼んでなかったにちまいない、ということになって、それが問題だ。そのために限が閃を名前で呼ばないということが大問題だ。めそめそした気分になるんだ気持ち悪い文だな。げんげんが作中で名前で呼びかけるのは、翡葉さんと亜十羅さんとアニメだと三人称単数で『墨村』とゆーのがあったみたいですけど(未見)とかそのくらい(曖昧)(だめっぽい)で、でもあそこの閃ちゃんの回想で「閃」という一言があれば色々無限の可能性が拡がったのに、と思って妄想が封ぜられてしまったことが悲しいようです。アニメの閃ちゃん今からでも妄想でもいいから記憶を捏造したまえよ。呼びかけって大事だ。



だぶるおー 面白いです。感想追記。
※舞台設定についてネタバレあるので注意ください。
※関係ないのにぎあすの舞台設定についてもねたばれているので更に注意。
※あとなんかちょっとイヤンなことも書いてあるので気配を察した方は回避してください



きゃらもえについては一通りざらっと書いたとおりで今現在わかってる範囲+想像で主役全員とても悲しくてしかしかわいくてそれはさておき、舞台設定が現代から300年後で化石燃料が枯渇して太陽光エネルギーとそれを運ぶための3本ばかしの軌道エレベーターのために世界がおおまかに三つになってて(でもアメリカ側ユニオンに属する経済特区トーキョー)、というところから始まるので、ぎあすにせよ*1、今そうやって戦争を使って大勢の人向けに物語を作ろうとしたら戦争は怖いものです嫌なものです、だけではなくて、何で戦争がおきてるかって言うとね、と常にその一因であるだろうエネルギーのことからフィクションにて組み上げていかないといけないのかと思って、たいへんだなと思いました。これはよいことなのか悪いことなのかどうなんだろうとかそういうことを考えました。今の時代だからより現実味・説得力をもつ、という部分があるにせよ問題の根源は今に始まったことではない筈なので、自分が知らないだけでそういうところから突っ込んでるお話ってたくさんあるのかもですが、とりあえず改まってぐだぐだと考えた。よいことは多分サジ君のセリフではないけれどもそれらをより身近に感じられることで、悪いことはそんなことまで娯楽にしてしまうのかという見方と、それからわざわざ娯楽を見るのにそんな深刻なことをつきつけられても困るという見方か。


あと人様の感想で世界情勢に中途半端に興味を持っている人がはまりやすそうだ自分もだ、というやや自嘲的なコメントを拝見したのですが、凄く納得しました自分もだ。多分、きちんと興味をもって作中に出てくる民族紛争(文字ったりするのでもなくまんま地域名・民族名が出てきたりするから聞きかじった程度の身でもギョッとする)の解決に真剣に取り組んでる人からみたらやっぱりそれらが『物語』に乗っかってるのはひどい悪い冗談だろうとは思うので(想像です)、面白く視聴していて申し訳なくなりつつ、でも面白いです。スタッフが真面目なんだなあと思えるようになったので、自分は今のとこ好ましく見てしまっております。中途半端に。


とりとめなく起承転結のかけらもない雑文。自分はすっきり。週末が楽しみなのは嬉しい。

*1:ギアスはトンデモ歴史で『産業革命が起こらなかったif(代りに謎エネルギー・サクラダイトがあるので、だからあの世界は火力も原子力もメジャーなエネルギー源としては存在しない。ニーナがえらいもん作ってたけど)』なので実際にはちょっと違うけれど今思いついちゃったので。ニッポンが占領されたのはサクラダイトが採れるから、という資源問題。一応。