9/19-9/22伊勢神宮ほか

ruthe2009-09-23

暦通りの休みを頂きまして、家族で伊勢神宮へ行って参りました(不参加:弟/仕事)。
楽しかった!!行こうと思ったきっかけは正月に親とテレビで見たからとかそんなん。
しかし私の提案だったもので、帰ってきたら親戚に親孝行だね的なことを言われてしまって後ろめたくて大否定。準備が悪くてほんとに悪くて行き当たりばったりの旅でもありました。


二泊三日内訳
一日目:外宮(げくう)×2回参拝
二日目:内宮(ないくう)×1.5回参拝+神宮徴古館+古市街道歩く
三日目:外宮×0.5回+鳥羽で遊覧船+ミキモト真珠島


ちなみに
内宮→ないくう
外宮→げくう

と言います。
けどタクシーの運ちゃんも宿のおかみさんも博物館の人も、音としては濁ったり濁らなかったりわりとそのへんおおらかな印象。


伊勢神宮の正式名称は神宮。大雑把に言って内宮と外宮、その他たくさんに分かれる。大雑把すぎますが、全部で125社があって全体の範囲がものすごく広くて定義も細々しており不案内ゆえこのへんで思考がショートしました。大雑把で許してください。当然すべては回っていません。回れるものなら回りたかったが不可能な広さ。
神宮というのは本当にものすごい規模で、一般人の立ち入りが禁止されている山林含めると、三重県の数分の一あるとかないとか。なんだそりゃ。式年遷宮(二十年に一度の神様引っ越し)もあり、それを維持して関わる人間の数や年月やお給料のことを考えてしまって戦慄しておりました。凄すぎる。



一日目:外宮×2回参拝
さておき。宿が外宮の近くだったのと、外宮→内宮の順で回るのが正式だと(ガイドブックが)言うのでまずは外宮から参拝。昼間に参拝したときには日差しは暑く人も多く、しかも思ったより時間が余り、参拝後に休息場を求めて三人で街中をさまよったので、なんだか違う意味で歩き疲れました。が、ちょっと休んで回復して夕方頃に再度参拝したところ、人も少なく薄暗がりにぼんやり夕日がお宮にかかってとてもよい雰囲気に。砂利を踏む自分の足音が大きく響くくらいの静けさ。外界とは隔離されているという印象をここでやっと。

ちなみにこの日一日でのべ八社程度にお参りしておりますので、八回くらい柏手打っています。
二日目も何度もやってたもので、段々手が痒くなります。


二日目:内宮(ないくう)×1.5回参拝+神宮徴古館+古市街道歩く
有名な宇治橋があるのはこちら。いってしまえばメインの神宮。とても広い。母が、外宮→内宮の順にまわれ(正式な参拝)とゆーのは、きっと逆に行くと参拝者ががっかりしかねないからだよね!と無邪気に騒ぐのが印象的でした。…外宮もとても印象的で個人的には好きなのですが、母上の言葉も無闇に否定できないこの辛さ。そのくらい、規模が違います。そんな内宮は、ものすごい人の多さでした。夕方に再度行っても、行く人も帰る人も少しも減らない。なんだか目眩がするようでした。


この日は、正宮ほか宇治橋の向こう側の行けるお宮を全部回ってから古市街道へ。宿にあったガイドブックというか、ウォーキング用の本に記載されていたもので、江戸時代のお伊勢参りのときにとても栄えた街道とのこと。具体的には花街のようなものが形成されるほどのにぎわいだったと。
今は普通の住宅街で、現在もただ一軒旅館を続けているという建物のほかには、往時を思わせるものはありません。ただ、どの家の軒先にも正月の〆縄飾りのようなものがありまして、途中の博物館で館長さんに伺ったところでは、一年中飾られるものだとのことで(年末につけかえる)、今もずっとほんとうに神社の町なのだなあと思わされる光景が続きます。


ちなみに通りに限らず伊勢市内には伊勢市で作ったと思われる石碑の道しるべがあります(例:××神社まで●●m)。石碑は明朝体で素敵な雰囲気なのですけれども、近づいて見ると小さく「Touch the spirit of Japan.」という標語(?)が彫られていてちょっとしたカルチャーショックを受ける。誰に向けた看板なんだ。


この日は歩きに歩いて神宮徴古館という博物館へ。神宮に収められ、二十年経って撤下された色々な物品を拝むことができます。これもなんかすごいとしか。展示されている数がすごい。だけど本当は表にある以上の数が存在していたはず。矢羽やその入れ物に至るまで、初めてみる漢字の名称の様々な道具。昭和28年に納められて48年に撤下されているということは、その当時と、そして恐らく今もまた同じものを作っているわけで(遷宮のたびに作り直す)、日本のどこかにこの工芸がまだ生きている、という実感はすごいものがありました。黒い漆が本当に美しくってうっとりしてしまった。


その他倭姫宮(やまとひめのみや)も個人的には印象強く。何かというと、こちらは別宮と呼ばれ、上記125社のうちでも比較的格の高いお社なのだそうです。が、その創建は大正12年。ウチのばーちゃんより年下、ととっさに考えてしまう。勿論神様は昔からいらっしゃるわけで神社はそのひとつの形なのでしょうから、別に新しいからどうのこうのということはないはずなのですが、それでも片や古事記の昔に成立し、片や大正時代、と考えるとその存在の蠢きとでもいうか、連綿と続いてきた何かって何なんだろうと不思議な気持ちになります。


以上取り急ぎ記録まで。全然書ききれないなあ。三日目も楽しかったのですが、既に伊勢神宮ではないので(朝にお参りしましたが)ひとまず省く。


色々な情報が一度に入ってきてしまって、自分の中の印象すら定まっておりませんが、神域の静謐さ以上に、それをこれまで続けてきた人間の力というものをまずは考えてしまう旅行でした。二千年前、というのが本当か嘘かとかそういうことではなくて、少なくとも近年は続けられていて、それから、二十年に一度の遷宮のために樹齢×百年という木を切ることが決まっていて(どういう種類の木を使う、ということも全て定められているのだそうです)、木を運ぶこと、神域の中に石を運ぶこと、という遷宮に向けた作業のひとつひとつが膨大な数の人が関わって、またお納めする食べ物(米、魚、貝その他)は自給自足。それらのことが今も行われているということを想像するだけで圧倒される思いです。


機会があれば伊勢市からは距離のある、伊雑宮(いざわのみや)や、瀧原宮(たきはらのみや)といった遙宮(とおのみや)も行ってみたいなあとミーハー心で思っております。


雑な感想で恐縮です。ひとまず以上。