時間の使い方

が下手くそてゆか上手に使おうとする気持ちが足りておらぬ気がします。


本日フロア改装で早々に追い出され、業者のする机移動で中身こぼれませんように!あれらが溢れませんように!と祈りを込めながら明るいうちに退社。小学校の大掃除前のような不安と後ろめたさです。三つ子の(略)。さて、こんな時間に暇になるのが久しぶりだもので、時間をもて余しそうになっていかん気持ちがなんかしぼむ!と恐慌を覚え、そのまま買物に行くことにしました。安いのばっかだけど服買って楽しい!夏だのに長袖と七分袖が増えました。肌が見えないように布を重ねるのが楽しいようなのです。早く秋になってしまえというのは数日前の酷暑/湿潤な日にも思ったことですが、今日も今日の理由で同じことを考えた。


しかし八月でなければやれないこと出来ないことが多すぎてこの月は流せない。加えて八月のコミック一覧には人間を元気にさせる力があるので恨めない。来月もきゃーと言いますカレンダーに書きこむのが楽し過ぎた!小学生からウン年間、一か月の夏休みというなんとも言えない開放感を味わったおかげか、一年間で最も財布のひもが緩む時期です。その昔、買った漫画単行本の冊数でグラフを作ったら八月がズバ抜けていたのを思い出します。次点が12月。消費社会の夏休み商戦・クリスマス商戦にどんぴしゃ日本人です。季節感て何かね。


そう言えば今読んでいる本で、線香花火には序破急があっていいよね(意訳しすぎ)みたいな文章があって、やってみたいなあ、花火なんて暫くやっていないなあ、と思っておったところに、たまたま母の実家の近くのキャンプの花火大会に行くことになりました。そういう日常を交えて本を先へ読み進めていったら

ところが近代になってはやり出した電気花火とかなんとか花火とか称するものはどうであろう。
(中略)(ひどい省略ですが、「タクトもなければリズムもない」とご立腹)
これも日本固有文化の精粋がアメリカの香のする近代文化に押しのけられて行く世相の一つであるとも言いたくなるくらいのものである。

とかあって笑ってしまいました。この本でこんなにわかりやすくプンプンしてる文にぶつかったの初めてのような気がする。打ち上げ花火に触れてのお話ではありませんが、なんとなくすいません花火を見にキャンプに行きます。自分で花火をするかはわかりませんが、するとしたらあなたの仰る電気花火とゆーのも多分します。けど線香花火も勿論やりたいです。


話変わりますが上の文章は昭和二年の雑誌が初出だそうで、そんな昔からアメリカ文化が日本に入ってきて云々言ってたのか、というのも新鮮でしたが、また別件。本の中で前後してある文章に「地球物理学上の近年の問題」として大陸移動説に触れている文がありました。近年?と思ってwikiを拝見しましたらウェゲナーの大陸移動説が1912年(大正元年)の発表で、そのあと1950年後半(昭和二十年代後半)あたりまで基本的には無視が一般的だったのだそう。ちょっとびっくりでございました。もっと昔からの考え方なのかとなぜだか思い込んでいた。


長くなった。以上日記。
読んでるのはこれです。全五巻中、今まだ二巻。ひじょーに面白いです。

寺田寅彦随筆集 (第2巻) (岩波文庫)

寺田寅彦随筆集 (第2巻) (岩波文庫)