映画『それでも夜は明ける』

原題:12 Years a Slave


印象的な映画でした。あらすじは省いて自分の感想のみ。実話なのだそうです。


邦題の響きはとてもいいのだけど、内容とマッチしているかというと微妙。夜は明けてもまだ世界に闇が残っているという印象だった。生き残って家族の元に帰りついたソロモン・ノーサップが家族に謝罪する場面で、農場に残してきた同胞たちにはどんな声もかけられなかったんだ、と考えてしまって辛かった。


奴隷制度を扱った映画なので辛い場面があることは当たり前なのだけれども、黒人が被害者・白人が加害者、という描き方だけではなかったのが本当に印象的だった。まだ誘拐される前、自由黒人(すごい用語だ)だったソロモンの家族が町で買物をしている店に、奴隷と思しき男性が入って来て白人の主人に連れ去られるときのノーサップ一家の無関心さが、奴隷生活を送るソロモン自身の回想として挟まれたところが、肉体的な辛さではないけれども、ものすごいやるせなさとして強く記憶に残った。


ソロモンの所有者であった二人の農場主の描き方の違いも興味深かった。ソロモンに親愛を感じつつも決して奴隷と主人の一線は越えず、最終的に自分の借金のかたとしてソロモンを売り飛ばした最初の主人。横暴でソロモンを目の敵にし、綿花取りの名人パッツィーを縋るように組み敷く二番目の主人。例えばこれを物語の中の登場人物として冷静に語るのであれば、どちらも弱い部分を持った人間らしい人間と言える。彼ら含め奴隷に鞭打つ白人の側に良心がないとは言えない。けれども、今、現代に、少なくとも今の日本でこの映画を見る側からすれば、人間が人間を人間として扱わない様の違和感は凄まじい。そして考える。あの時代にあの場所にいたとしたら、私は今のこの言葉を彼らに向けて言えるだろうか。


お伽噺の終わりのように唐突にソロモンは救われる。諦めず諦めず、いつか家族の元へ帰るという想いが実を結んだ結果でもある。絶望的な状況の中で仲間に「何故そんなに絶望的なんだ」と説くソロモンの姿は力強かった。自分はこんな風に希望を持ち続けられるかと言えば、多分できない。せめてカナダ人のバスの言う『原則』とは何かを考え続けられるようにしたいとだけ願う。